2016年11月4日。いよいよ迎えた出産予定日。
金曜日だったので、「何かあったらすぐに連絡をするように」と言い残して父ちゃんは出社しました。
仕事もろくに手につかない状態でソワソワしていましたが、日中は特に何も起こらず過ぎました。
まぁ予定日って言っても、長い長い妊娠期間を考えれば4、5日ずれ込んだって不思議ではないか。むしろずれる方が自然よなぁ。とりあえず寝ましょうかね、そうしましょう。
なんて思いながらベッドに入り込んだときです。
おもむろに「あ、少し痛いかも」と妻が言います。しかし体を丸めてしばらく耐えると、その生理痛のような痛みは引いていったそうです。
つ、ついに来たのか?
陣痛よ。ずれたと思わせておいて、きっちり予定日に来やがって。予定日の予測ってすごいな。
しかしまだあわてるような時間じゃない。
出産の知識だけは溜め込んであるので、陣痛の間隔が重要ということは知っている。
焦って病院に電話して「まだ来ないでください」と言われる初産あるあるも知っている。
つとめて冷静に、ノートに陣痛が始まった時間を記録していく。
最初の陣痛は23時20分。次の陣痛は23時35分。15分間隔だ。
3回目の陣痛は23時54分。間隔は19分。
4回目、0時2分。一気に8分間隔だ!
その次は7分間隔…これは一気に進んでいるのか!?と思ったらまた17分間隔。
バラつきがあるということは子宮口も全然開いていないということだろう。そりゃそうだ。初産婦の場合、出産までには陣痛開始から12時間以上はかかると聞いている。
このあたりで、陣痛の長さと間隔を測ってくれるスマホアプリがノートの役目を引き継ぐこととなった。
アプリすごい。開発者えらい。妊婦さんは前もってダウンロードしておこう。
痛がる妻が心配だが、夫としてできることが何もない。
ここでどうするのが正解なのか。正しい道はわからないが、僕は「寝ていいよ」という妻の言葉に甘えて眠ることにした。
11月5日。
不定期な痛みが続き、妻は一睡もできなかったようだ。
お風呂に入ると少し痛みが和らいだようだけど、そのうちどんどん痛みが強くなり、妻の目から涙がこぼれる。
妻は痛みに強い人で、これまで痛がっている場面をほとんど見たことがなかった。その妻が、堪えきれずに泣いてしまうほどの痛みと戦っている。
そんなときに腰をさすることしかできないのが歯がゆい。2人の子どもなのに、妻だけに痛みを背負わせていることが申し訳なく、いたたまれないのだ。
お昼になり、義母が昼食を差し入れてくれた。セブンイレブンで売っている、レンジで温めるラーメン。通常時なら元気が100倍になるやつだけど、陣痛時には食べきるのがキツそうだった。
13時30分。未だ陣痛の間隔が定まらないが、妻の痛みは限界に。
病院に電話すると「もう来ても大丈夫」とのことだったので急いで車を走らせる。
病院に着き、すぐに分娩台へとライドオン。分娩台といっても、まだただのベッドのような状態だけど。子宮口は6cm開いていた。
陣痛が始まってからすでに15時間が経っていたが、ここからがまた長い戦いだった。
1回の陣痛が長くなってきたものの、子宮口7cmからなかなか進まない。今でも相当痛いのに、これで全開ではないというのが信じられない様子だ。陣痛の度にうなったり叫んだりしている。
たまごクラブには「テニスボールで肛門を押すと陣痛が和らぐ」と書いてあったので、僕は家から持参したテニスボールを、四つん這いの姿勢の妻の肛門めがけて押し込む。
肛門に、力いっぱい押し込むんだ、テニスボールを、ぼくは!
いけ!ケツにめりこめ、テニスボールよ!!
とばかりに、さすがに全力ではないものの、9割くらいの力を込めた。それくらい強く押さないと効果が少ないらしい。
ちなみにテニスボールは病院にもきちんと用意されていたので、わざわざ持ち込む必要はなかった。
妻が叫び、僕が押し込み、それを繰り返す。夕方になって、やがて夜を迎えても、ひたすらに耐える時間が続いた。分娩室の有線から流れる曲も何度ループしているかわからない。PPAPのとぼけたメロディーが気に障り、ピコ太郎に殺意すら覚える。こっちはペンパイナッポーどころじゃねえんだわ。
いつかは終わるとわかってはいても、この痛みにいつまで耐え続ければいいのか先が見えない、これが出産の恐ろしいところだと知った。
お産の途中で「もう産むのやめる!!」と言い出す妊婦さんがいると聞く。「そんな無茶苦茶な」と思ったが、この場面を見ていると、そう言いたくなる気持ちがよくわかる。
よく「お腹を痛めて生んだからこそ可愛い」なんてことを言う人がいるけど、痛みなんて無い方がいいに決まってるよな。これだけ科学が発達してもなお、痛みと危険が伴う原始的な出産方法しかないなんて…早いとこ安全で痛みの無い出産が普通である世の中になってくれないもんか。
21時頃、やっと子宮口が全開に。骨盤が押し広げられて、痛みも相当なものだろう…。男にとってはまさに想像を絶する世界だ。
昨日から一睡もしていない妻は体力の限界を迎えていたが、終わりが見えたことでまた力がみなぎってきたようだ。助産師さんの掛け声とともにいきみ続ける。
ベッドの傍らに立つ僕は、妻の手を握ったり、ストローを口元に持っていくことしかできない。
もう何回いきんでいるだろう。赤ちゃんも頑張っているが、なかなか降りてこない。
妻も涙声で「まだぁ!?」と助産師さんに問いかける。しかし大きく取り乱すこともなく、助産師さんたちと会話する姿は大変頼もしい。呼吸もいきみも上手だと褒められている。
22時になり、赤ちゃんの進みも遅いので促進剤を打つことになった。
会陰切開もした。ハサミでお股をじょきん、だ。おそろしく痛そうだが、ずっと前からそれどころではない痛みに襲われているので大したことはないらしい。
いよいよ最後のとき。
全力でいきむたび、妻の顔は真っ赤になり、首の血管が浮き上がる。いきみすぎて毛細血管が切れることがあると聞いたが、妻もそうなっているのだろう。かわいそうで見ているのが辛い。どうか、一刻も早く痛みから解放させてあげてほしい。
がんばれ、あずさ
がんばれ、はな
ーそして
22時43分、大きな産声をあげてこの世に誕生した「はな」
狭い産道をゆっくり進んで苦しかったね。よく頑張ったね。
体重 3,268 グラム
身長 47.5cm
髪の毛がふさふさ過ぎるはなを見て妻が「海苔みたい」と笑い、その言葉に病室の皆も笑いました。
赤ちゃんを抱っこすると、小さくて細くて、すぐにでも壊れてしまいそうだ。これからどんどん大きくなれよ。
赤ちゃんが無事に生まれてきてくれて嬉しい気持ちも当然あったけど、妻がこれ以上戦わなくていいことに心底安心した。
陣痛が始まってからほぼ24時間、不眠不休で痛みに耐え続けてくれた。本当にお疲れ様。
出産をテーマにしており、毎回めちゃくちゃ泣けるでお馴染みの「コウノドリ」というドラマが好きです。そのドラマでは、お産というのは一つとして簡単なものはなく、命が生まれることは奇跡なんだということを繰り返し伝えていました。
順調に進んでいたお産の途中、胎盤剥離で死んでしまったお母さんもいました。
お腹の中で死んでしまった子を産み落とす回もありました(この回は一生忘れられないくらい鮮烈。今後いつでも思い出し泣きできる自信がある)。
『無事に元気な赤ちゃんを産むことが、決して当たり前ではない』
ドラマを通して学んだつもりでいました。
だけど、本物の出産現場には画面越しには伝わらない壮絶さがある。大げさではなく、出産というのは母と子の命を懸けた戦いなんだと実感しました。そしてこれは、この現場に立ち会わないと一生わからないことでした。世の旦那さんは、奥さんが許すなら全員立ち会ったほうがいい。
長い長い妊娠期間中、つわりに襲われ、腰の痛みや体の重さに耐え、好きなお酒を断ち、甘いものも控え、待っているのがこの出産の苦しみだなんて。
そんな試練の末にこの子を生んでくれた。僕はもうこれから一生、妻への感謝を忘れず生きていこう。
もう夜中なので、父ちゃんはいったん自宅へ帰ることにする。
病院の外へ出ると、うっすらと雪が降っていた。
駐車場でひとり雪を見上げていると、ふと父親になった実感と、家族が増えた喜びがこみ上げてくる。何ともいえない温かさで心が満たされたのでした。
次回はきみは赤ちゃんの最終回です。