今でも生きているあの言い回し
娘ふたりが「ちんちん」「うんこ」「しっこ」「おなら」などと言って喜んでいる。
いつの世も、下ネタには子どもの心をつかむ魅力があるのだ。
保育園の男の子をマネして「ちんちんぶらぶらソーセージ」とか言い出したときは、自分が子どものころにもあった言い回しが今でも生きていることに感動すら覚えたもんな。
女の子なのになんて下品な…と思わないでもないが、誰もがとおる道なのだろう。
世代を越えて今でも継がれていっているもの、他にもあるだろうか。
『うれしいひなまつり』の替え歌
ひなまつりの時期になると保育園でも当然、童謡『うれしいひなまつり』を歌うようになる。
そうなると、あの替え歌が今でもきちんと伝わっているのかが気になるところ。
地域によって歌詞に違いがあるようだが、総じて五人囃子が悲惨な目にあう『かなしいおそうしき』の歌だ。
ぼくの地域では “ 五人囃子の首ちょんぱ ” だったな。ちょんぱという響きがなんとなくかわいらしく聞こえるが、よく考えるととんだ猟奇殺人鬼である。
子どもたちに知ってるかどうか聞いてみたいが、知らなかった場合に教える羽目になってしまいそうで聞けずにいる。
『森のくまさん』の替え歌
『森のくまさん』の替え歌はメジャーリーガー。きっと健在だろうな。
“ あるひんけつ
森のなかんちょう
くまさんにんにく
出会ったんそく
花咲くもりのみちんぽこ
くまさんにであったんこぶ ”
そのうち覚えて帰ってくるのが今から楽しみである。
君はちんぽこの部分を恥ずかしがらずに歌えるかな?
『たきび』の替え歌
『たきび』も全国区と思われるが、ちょっと渋いか。今では歌う機会も少ないだろう。
“ あたろうか焼け死ぬぞ 北風ぴーぷー下痢ぴーぴー ”
替え歌のインパクト強すぎて、もはや元の歌詞を思い出せないもんな。
なんやねん「ぴーぷー」て。それは元の歌詞か。
『にっぽん昔ばなし』の替え歌
アニメ「日本昔ばなし」のオープニング曲はさすがにもう歌われていないかもしれない。
“ 坊や~よい子だカネだしな~ カネがないならケツだしな~ ”
本来は子どもを寝かしつける母の愛を歌っているはずなのに…。
ここでいう「坊や」は、でんでん太鼓をもって龍にのる、かわいらしいあの子だろう。
ヤンキーに絡まれた坊やのケツはその後どうなってしまうのか。恐ろしい歌だ。
『アルプス一万尺』の替え歌
『アルプス一万尺』のメロディーに乗せて、隣に住む老夫婦の醜態をさらすあの歌はどうだろう。
多くの地域では
“ 隣のじっちゃんばっちゃん 芋くって屁こいて大事なパンツに穴あけた ヘイ! ”
らしいが、ぼくの地域では
“ 隣のじっちゃんばっちゃん トイレに入って紙がないから手で拭いた ヘイ! ”
であった。
元の歌詞を1ミリも残さずに、知性と品性を極限まで削り落としたひどい歌である。
考えた方も喜んで歌っていた方も、ザ・子どもという感じがして大変微笑ましい。
伝道師として歩む道
小学校へ通うようになったら、指で唇を横一杯に広げながらの「学級うんこ」もやってくれるだろうか。
女性器に興味をもちだす学年で、ちゃんと「オマーン国際空港」「ヤッターマンコーヒーライター」が流行るかな。心配だな。
ちんちんぶらぶらソーセージも含め、これらの重要文化が廃れないように「ことわざ慣用句辞典」に登録されてもいいかもしれない。
それが無理なら、ぼくが伝道師として全国を渡り歩かねばなるまい。
芸名は「ソーダ村の村長さん」にしようかな。