先日、母方の祖父の四十九日法要がありました。
四十九日ってなんだろうねあれ。
「死者の霊が7週間(四十九日間)はこの世とあの世をさまよっているとされています。
この期間は、死から新しい生へと生まれ変わる準備をしているのです。
その間に遺族が丁寧に冥福をお祈りすることによって、亡くなった人は初めて無事に極楽浄土に送り届けられるとされています」
いや誰が決めてん!!
仏教だから釈迦なのか?彼が独自に考え出した教えが今でも日本の風習として残っていて、しかも皆それをちゃんと守っていることが不思議。
輪廻転生ってあるやん?
絶対おかしいでしょ。死んだら何にも残らんて。
もしそれが本当だとして、あんまり良い行いをしなかったものが来世で貝に生まれ変わったとしよう。
その次の世代でもっと良い生物に生まれるために何すればいいの?
貝に良い行いも悪い行いもないと思うのだけど…。
あと、葬式で坊さんがお経あげるやん?
意味ない!
だって死んだら意識なんかないし、ましてや霊魂もないしお経が聞こえるわけがないからね。
大したことしてないくせにお布施めっちゃ高いし。
坊主丸儲けっていう言葉が存在してるくらいだから皆も思ってるところなんじゃないですかね。
葬儀場で供物が売ってるの見たけど、軒並み高い。
カップラーメンが700円。POPには「故人が好きだったものをお供えしませんか?」の文字。
いや大体の人は好きだけども!
おっと、あんまり坊さんや葬儀場の悪口を言うと日坊連(日本坊主連盟)関係者に「メコッ!」されるからこのへんで…。
そうそう、忌み言葉ってあるやん?
強引すぎじゃね?
結婚式のスピーチで「重ねる」という言葉使っちゃダメって意味わからん。
ほとんどの人が聞き流すでしょ。一体どれ程の人間が離婚を連想するか。
考えた人のインスピレーション、豊かすぎ。
四が死、九が苦、試験の前の日にカツ丼とかもうダジャレやん。しかも面白くない!
結婚式のご祝儀袋、水引は奇数の本数を結びきりで、裏の折り返しは「喜びは天を向く」として下の折り返しが上になる。
なんでやねん!
それぞれ意味はあるんだろうけど、それ自体がこじつけやダジャレ感覚っていうね。
もうそろそろどうでもいいんじゃないですか。
慶事も弔事もただの封筒に統一にしましょうよ。
金額によって豪華にするのもなし。水引もなし。
簡単でいいでしょ?
もしも俺が死んだら、使える臓器を全部提供して、ごくささやかな葬儀を済ませて、遺骨はその辺にばら撒いてほしい。
仏壇もお墓もいらないぜ!!と思うのだけど、これは死んでいく者のわがままになるのかな?
残される人の悲しみを癒すためにも必要なものなのでしょうか?
私がまだ若輩者のうちは、色々な風習の真の意味を理解できないのかもしれません。
とりあえず、常識知らずと思われないよう、疑問を持ちながらも従っていくしかないという結論が出ました。
皆どんな心持ちで日本の風習に臨んでいるのでしょうか?