きみは赤ちゃん20 きみにであえて

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生まれてきた赤ちゃんはとても健康で、お腹がすいたり、オムツが汚れると顔を真っ赤にして大きな泣き声で教えてくれました。

黄疸もなく、母乳もよく飲み、一週間後に無事退院。

これからが育児本番。大変なことも多いだろうけど、なるべく楽しみながら頑張っていこうと思います。

それにしても、自分の子どもというのはこんなにも愛おしいものなのか。

以前、自分が生きる意味を見失って、この世から消えてしまいたいと思ったことがありました。

生きていればいいことがある、なんてよく言いますよね。

今になってわかるのですが、本当にそのとおりだったなと思います。

この子に会うことができたこと、それが人生最大の喜びになりました。

あのとき死ななくて本当によかった。


ーここから飛び降りたら死ねるだろうか

9年前のある夜、23歳の僕は橋の上でそんなことを考えていた。

札幌市の西区と手稲区を分ける、追分通という幹線道路に架かる「宮の沢跨線橋」

見下ろしてみても、地面がどうなっているのか、どれくらいの高さなのか、何も見えない。ただ闇が広がるだけだ。

見えないけれど「跨線橋」というからには下に線路が走っていることは間違いない。高さが足りなくて死に損なったとしても、電車が僕を轢き殺すだろう。

ー痛そうだ

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けど、明日からの辛い一週間、いや、これから一生あの会社で過ごすことを考えると、一瞬の痛みを選ぶのは悪くない決断なのかもしれない。


裕福な家庭ではなかったし辛いことも人並にあったけど、大きな挫折を経験したことがなかった。
順風満帆とは言えないまでも、悪くない人生を送ってきたつもりでいた。

高校は地元で一番の進学校に進み、適度に遊んで適度に勉強して、国立大学にストレートで入学した。

だけど、自分が一番わかっていた。うまくいっているように見えて、ただ苦しいことから逃げ続けてきた人生だということに。

努力するのが嫌で、本当に行きたい大学に向けて勉強を頑張るより、今もっている学力で行ける大学を選んだ。

大学に進学してからもこれといって学びたいことがなく、楽な授業やゼミを選び、卒論も適当に書いて、卒業するためだけに単位を取った。

就きたい職業が見つからないまま就活もした。
とりあえず有名な企業をたくさん受けたけど、心に情熱がないことを見透かされていたのか、一次面接でことごとく落ちた。

その場しのぎで自分を取り繕っても無駄。人生を本気で生きてきた奴にはやっぱりかなわないのだ。

そんな中で内定をくれた会社が一つだけあった。

それほど大きくはないが、テレビCMのおかげで誰もが一度は聞いたことがある食品会社。

ーもうここにしてしまおう

正直に言うと、全然いきたい会社ではなかった。

ただただ、これ以上就活を続けたくなかった。

ー周りの皆ももう就活終わっているころだし、自分もそろそろ決めなくちゃ

ーそこそこ有名だし、きっといい会社に違いない

ー自分なら営業もうまくやっていける

いくつ言い訳を用意して自分に言い聞かせても、心の奥底ではわかっていた。

結局ただ楽をしたいだけ。努力することを放棄した、いつもの逃げ癖が出ただけだということに。

実際、社会はそんなに甘いものではなかった。

朝早く出社し、日中は札幌市内の飲食店やスーパーを営業して回り、残業も当たり前にあった。

やってもやっても営業成績は振るわなかった。

商品に対する知識や愛情がないし、話術に長けているわけでもない。そんな人から買おうなどとは誰も思わないだろう。自分が客なら買わない。

だからといって売り上げを伸ばす努力をする気にはならなかった。

自分に自信がないので、お客さんにこの商品を買わせてしまったらなんだか悪いなという気持ちが先行してしまう。

当然そんな姿勢では仕事のやりがいや喜び、働く意味を見出せなかった。

学生時代のアルバイトの方がよっぽど楽しい。これが社会の厳しさなのか。

自分にとっては地獄の日々だったが、どの会社もそんなもんだろうと思って数か月は耐えた。

入社して半年が経つ頃、どんなに早く寝ても朝起きるのが辛くなってきた。

日中も突然強烈な睡魔に襲われるようになり、先輩との会話中に眠ることもあった。

眠ると言うより一瞬で気を失うような状態で、自分では絶対にコントロールできない状況だ。普通ではない。

ある日とうとう限界を迎え、どうしても会社に行くことができず、休んだ。

一度休むともう終わりだった。

会社の上司と面談をしたがダメだった。

心療内科に通ったところ、先生は「会社を辞めれば治るよ」とこともなげに言った。

それはうつ病とかではなく、行きたくないから逃げているだけだと言われたようなものだ。

それはそうなのかもしれない。

みんな辛い、会社にも行きたくない、だけど頑張っている。

それを自分はズル休みしているだけなのか。

どちらにしろ、二度と会社に行くことはできなかった。

いつも苦しいことから逃げていた、そのツケを払うときが来たのだと思った。

頭には両親のことが浮かんだ。

大学に4年間行かせても大手企業には就職できず、拾ってもらった会社は半年も続けられない。この先の見通しもない。

ー悲しませてしまうな

そんな思いでたどり着いたのが夜の跨線橋だった。


最後に謝ろうと思い、橋の上から母に電話をかけた。

不穏な雰囲気を察したのか、母は「どうしたの」と聞いてくれた。

「会社が辛いんだよね」

なるべく明るく言ってみた。

弱音を吐いても、もう少し頑張ってみたらと言われるものだと思っていた。

でも母はそれ以上何も聞かず「会社を辞めて帰ってきたら」と言ってくれた。

励ましたり、叱るようなこともせず、その声音にはただ子どもを心配する気持ちだけが滲んでいた。

涙をこらえているのを悟られないよう「うん」と答えるのが精一杯だった。

それから会社を正式に辞め、札幌で数か月を過ごした後に運よく地元に就職が決まった。

何よりも両親を安心させることができたことが嬉しかった。

自分のことはどうでもいい、これからの人生はただこの二人のためだけに生きようと決めた。


そんな風に思っていたのに。

妻と出会い、きみが生まれて、僕の人生は新しい家族のためのものになりました。

あのとき、なぜ母が叱ったりせずに「帰ってこい」とだけ言ったのか。

ー子どもはどういう形でもいいから生きてさえいてくれればいい

そんな気持ち、今ならよくわかります。

両親が僕に注いでくれた愛情。これからは僕がきみに注ぐ番です。

なにがあってもきみの味方でいるからね。

父ちゃんと母ちゃんのところへ生まれてきてくれてありがとう。

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