さっき駅前交番の前を通ったら、ちょうど晩御飯の時間だったのかな、
若いおまわりさんが一人、カップ味噌汁を見つめて作り方を熟読していたよ。
そのあと嬉しそうに味噌汁の具を入れたりしている様子が微笑ましくて、何だかこっちの心が温まりました。
おわり
いや終われるかい!
そんな「今日のほっこりニュース」はどうでもいいわ!
今日書きたかったのはそんなことではなく、
「世の中には色んな意見の人がいる」ことを改めて痛感した話です。
今日の昼休み、ヤフーニュースのトップに気になる記事が出ていました。
「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由
僕はまだ子どもいないんですけど、これから子どもを育てる世代だから子育て関連のニュースにとても興味があります。
そういう身で読ませていただいて、わかりやすくて大変素晴らしい記事だなぁと心から賛辞を送りたくなりました。
特に、
「投票率が低いから、我々子育て世代の優先順位が、低いだけです。」
という部分は非常に共感が持てたし、こういう記事を若い人が読んで投票率がどんどん上がればいいのになと希望を抱いたほどです。
ネットのニュースって感想や意見を書き込めるようになっていますよね。
そのコメント欄も、きっと僕と同じような感想で溢れ返っていると想像しました。
が、
全然そんなことはなかったです。
肯定的な意見と否定的な意見と、半々くらいでした。
昼休みの半分以上を費やして夢中でスクロールしまくったのですが、何なら反対意見の方が若干多いような気さえします。
少し驚きましたが、自分が置かれている立場によって、ある一つの政策への賛否が分かれるのは自然なことですよね。
例えば、僕は高齢者への3万円の給付金なんか全くもって不要だと思うんですよ。
3万円もらってもあまり生活の足しにはならないし、選挙対策のためだけの大いなる税金の無駄使いだと考えますが、
それは僕が高齢でも低所得でもないから言えることであって、
本当に困っているお年寄りの方からしたら子育て対策に税金を使うよりも臨時給付金や年金を増やして欲しいって思うだろうし。
そこは民主主義の国ですから、政治家が得票率の高い層への政策を手厚くするのも仕方ないですよね。
(だからこそ若い層が政治に無関心ではいられないと思うんだけど…)
色んな立場からの色んな意見があって然るべきだと、それはわかるんですけど、どうしても納得がいかないのは
「待機児童が多いこと自体が問題であって、母親が家で面倒を見たり親に面倒を見てもらうよう頼めば済む話だ」
という意見です。
それができればとっくにそうしているだろうし、そうしたくてもできない人がこの世にたくさんいるということを知ってほしい。
自分が生きている狭い世界だけが全てだと思わないでほしい。
あなたが知らないだけで、自分とは全く異なる環境で生きている人がいるんです。
シングルマザーはどうすればいい?
近くに親や頼れる人がいない場合は?
「生活水準をワンランク落とせば母親が働かなくても旦那の給料で生活できるだろう」
という人も同じです。
それはあなたが恵まれているだけです。
年収200万円のワーキングプアが、専業主婦と子どもを養っていくことが果たして可能でしょうか。
狭いところに住んで食費を削っても、それには限界があるのではないでしょうか。
あなたが想像もできないような、普通より遥かに低いレベルでギリギリの生活を送っている人に更なる苦労を強いるのは酷だと思いませんか。
何の考えもなく離婚する方が悪い
高い年収を得られる職業に就くための努力をしなかった方が悪い
満足に育てられないのに子どもを作る方が悪い
そういう自己責任論も、ある側面では正しいと思います。
だけどそうやって切り捨ててばかりでは少子化が進んでいく一方だし、
家庭環境によって「努力をする」という能力を身につけられない子もいるのです。
貧しい家に育った子どもは「意欲」という非認知能力が身についていない場合が多いそうです。
だから、貧困の連鎖を断ち切るためにも小さいときからの教育が何より大事です。
「3歳までは母親が子どもの面倒を見るべきだ」という3歳児神話は過去の話。
乳幼児期からの質の高い教育が、ひいては社会全体の利益になると僕は信じています。
ちなみにこの辺のことは全て「保育園義務教育化」という本の受け売りです。
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とてもわかりやすくて良い本です。
とにかく、皆が安心して子育てできるような環境が整わないと、子どもを産み育てようと思う人は減る一方だし、
そうなると将来、自分がじじいになったときに支えてくれる人が少ないのがすごく不安じゃない?って話でした。